■平成21年(2009) 1月3日(土) 気温11.1℃ 歩いた距離 約8km
「初詣は寒川神社をてくてく」 からの続き
といったわけで、初詣だけで終わらずに鉄に結びつけるところが
ポイント。(爆)
JR相模線には、その昔相模川での砂利輸送に端を発した貨物支線
(のちに旅客営業を開始)がありました。しかし赤字路線ということで
旧国鉄の分割民営化の3年前、昭和59年3月末に廃止されました。
廃止後は地元の寒川町によって緑道に整備され、現在に至ります。
旧西寒川支線の分岐点付近。
微妙な弧を描いて描いて相模線本線から離れて行きます。
緑道の入り口手前に信号を模した案内看板が立っています。
こんな感じで緑道が整備されました。
しばらく行くと、レールと車輪のオブジェが現れました。
何の車輪だろう。
線路はここでおしまい。
また車輪のオブジェ。
貨車の車輪かな!?
住宅地の間を抜けていきます。
まもなく緑道の終点。
終点の八角広場。昔ここに西寒川駅があったのです。
浮世絵がありました。
昔のホーム付近にトロッコのような乗り物がありました。
この辺りがかつてのホーム付近。
廃線跡は一之宮緑道に生まれ変わりました。
緑道の説明。
旧国鉄西寒川駅の石碑。戦前戦中は近くに海軍工廠がありました。
駅跡はこんな感じになっています。
支線跡の先では、圏央道が建設中です。
25年前の昭和59年(1984)3月31日に廃止されました。最終日の西寒川駅。
上の写真と同じアングルから見た現在平成21年(2009)の様子。
植栽で見通しが利かなくなりました。
同じく25年前の昭和59年(1984)3月31日、前の写真の左手奥から撮った写真。
同じ場所の現在平成21年(2009)の様子。変らないのは、右側にわずかに
見える鉄塔のみ・・・
駅名標は心無い人に持ち去られてしまったため、手書きのもので代用
していました。
寒川~西寒川間の走行風景。昭和59年(1984)3月31日。
同じ場所の現在平成21年(2009)年の様子。
手前の畑だったところには、アパートが建ちました。
カメラを引くとこんな感じ。
寒川駅にて。昭和59年(1984)3月31日。
ちなみに相模線が電化されたのは平成3年(1991)です。
寒川駅の駅名標。こちらは本物が健在。隣の駅に西寒川が書かれています。
さよなら運転記念のヘッドマーク。
さよなら列車の行先板(サボ)。 普段のものと変らず・・・(^_^;)
現代に戻って・・・すっかり日も暮れてきたのでそろそろ撤収。
この日はやや雲が多め。
普通、寒川駅東口とか西口のはずですが、なぜか「寒川駅入口」不思議です。
といったわけで、さてさて今日は何歩かな!? 約12000歩でした。
寒川神社の初詣と合わせて、約8km歩きました。
西の空が真っ赤です。
富士山もシルエットに。
寒川駅構内、橋本方面を望む。寒川支線の分岐点があった方向です。
昔の貨物扱いの名残で、駅構内は広いです。
おしまい。
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懐かしいですが印象度としてはあまり残っていない。単調な景色で、雨が降っていたからね。
この雰囲気、中神から出ている昔の貨物線に似ている。あと五鉄にも。
今回は分かる人には分かるコメントです。
本線は小学生の時に乗りました。
ディーゼルが珍しかった記憶があります。
中神駅の貨物線、懐かしいですねぇ。昭和記念公園近くに貨物線跡のモニュメントがありますね。まだ見たこと無いけど。
masaruさん
この辺りでは相模線と八高線が最近まで(とっても10年以上前ですが)ディーゼルでした。